吉川英治『三国志(新聞連載版)』(203)人間燈(にんげんとう)(一)

吉川英治『三国志』の新聞連載版を1日2回発信します。第203回。
三国志研究会(全国版) 2026.07.23
誰でも

 蜿々(エン/\)と行列はつゞいた。

 幡旗(ハンキ)に埋められて行く車蓋、白馬(ハクバ)金鞍(キンアン)の親衛隊、数千兵の戟(ほこ)の光りなど、威風は道を掃(はら)ひ、その美しさは眼も眩(くら)むばかりだつた。

 すでに十里ほど進んで来ると、車の中の董卓は、ガタツと大きく揺すぶられたので

「何(ど)うしたのだつ」

 と、咎めた。

「御車の輪が折れました」

 と、侍臣が恐懼(きようく)して云つた。

「なに。車の輪が折れた」

 彼は、ちよつと機嫌を曇らし

「沿道の百姓どもが、道の清掃を怠つて、小石を残しておいたからだらう。見せしめの為(ため)、村長(むらをさ)を馘(くびき)れ」

 彼は、傾いた車を降りて、逍遙玉面(セウエウギヨクメン)といふべつな車馬へ乗(のり)かへた。

 そして又、六七里も来たかと思ふと、こんどは馬が暴れ嘶(いなゝ)いて、轡(くつわ)を切つた。

「李粛、李粛」

 と、金簾(キンレン)の裡(うち)から呼んで、彼は怪しみながら訊ねた。

「車の輪が折れたり、馬が轡を嚙み切つたり、これは一体、どういふわけだらう」

「お気に懸(かけ)ることはありません。太師が、帝位に即(つ)き給(たま)ふので、旧(ふる)きを捨て新しきに代る吉兆です」

「なるほど。明(あきら)かな解釈だ」

 董卓は又、機嫌を直した。

 途中、一宿して、翌日は長安の都へかゝるのだつた。ところがその日は、めづらしく霧がふかく、行列が発する頃から狂風が吹きまくつて、天地は昏々と暗かつた。

「李粛。この天相は、何の瑞祥だらうか」

 事々に、彼は気に病んだ。

 李粛は笑つて、

「これぞ、紅光(コウクワウ)紫霧(シム)の賀瑞(ガズヰ)ではありませんか」

 と、太陽を指した。

 簾の陰から、雲を仰ぐと、なる程、その日の太陽には、虹色の環(わ)がかゝつてゐた。

 やがて長安の外城を通り、市街へ進み入ると、民衆は軒を下ろし、道にかゞまり、頭をうごかす者もない。

 王城門外には、百官が列をなして出迎えてゐた。

 王允、淳于瓊(ジユンウケイ)、黄琬、皇甫嵩なども、道の傍に、拝伏して

「おめでたう存じあげます」

 と、慶賀を述べ、臣下の礼を執つた。

 董卓は、大得意になつて

「相府にやれ」

 と、車の馭官(ギヨクワン)へ命じた。

 そして相丞府(シヤウジヨウフ)にはいると

「参内は明日にしよう。すこし疲れた」

 と、云つた。

 その日は、休憩して、誰にも会はなかつたが、王允だけには会つて、賀をうけた。

 王允は、彼に告げて

「どうか、こよひは悠々身心をおやすめ遊ばして、明日は斎戒沐浴をなし、万乗の御位(みくらゐ)を譲り受け給はらんことを」

 と、禱(いの)つて去つた。

「御気分はいかゞです」

 と、誰かその後から帳を窺ふ者があつた。

 呂布であつた。

 董卓は、彼を見ると、やはり気強くなつた。

「オヽ、いつもわしの身辺を護つてゐてくれるな」

「大事なお体ですから」

「わしが位に即(つ)いたら、そちには何を以(もつ)て酬いようかな。さうだ、兵馬の総督を任命してやろう」

「ありがたうございます」

 呂布は、常のやうに戟を抱へ、彼の室外に立つて、夜もすがら忠実に護衛してゐた。

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