吉川英治『三国志(新聞連載版)』(160)珠(たま)(一)

吉川英治『三国志』の新聞連載版を1日2回発信します。第160回。
三国志研究会(全国版) 2026.07.01
誰でも

 ——一方。

 洛陽の焦土に残つた諸侯たちの動静は何(ど)うかといふに。

 こゝはまだ濛々と餘燼のけむりに満ちてゐる。

 七日七夜も焼けつゞけたが、なほ大地は冷めなかつた。

 諸侯の兵は、思ひ/\に陣取つて消火に努めてゐたが、総帥袁紹の本営でも、旧朝廷の建章殿の辺りを本陣として、内裏の灰を掻かせたり、掘りちらされた宗廟に、早速、仮小屋にひとしい宮を建てさせたりして、日夜、戦後の始末に忙殺されてゐた。

「仮宮も出来上つたから、取(とり)敢(あへ)ず、太牢(タイラウ)を供へて、宗廟の祭を営まう」

 袁紹は、諸侯の陣へ、使(つかひ)を派して、参列を求めた。

 いと粗末ではあつたが、形ばかりの祭事を行つて後、諸侯は連れ立つて、今は面影もなくなり果てた禁門の遠方(をち)此方(こち)を、感慨に打たれながら見廻つた。

 そこへ、

「滎陽の山地で、曹操の軍は、敵のため殲滅的な敗北をとげ、曹操はわづかな旗下(はたもと)に守られて河内へ落ちて行つた——」

 といふ報(しらせ)が入つた。

 諸侯は、顔見合せて、

「あの曹操が……」

 とのみで、多くを語らなかつたが、袁紹は、

「それ見たことか」

 と、聞えよがしに云つた。

 そして又、

「董卓が洛陽を捨てたのは、李儒の献策で、餘力をもちながら、自ら先んじて、都府を抛擲(ハウテキ)したものだ。——それを一万やそこらの小勢で、追(おひ)討(うち)をかけるなど、曹操もまだ若い」

 と、その拙(セツ)を嘲笑つた。

 半焼となつてゐる内裏の鴛鴦殿で、一同は小盞(セウサン)を酌み交わしてわかれた。

 折ふし黄昏(たそが)れかけてきたので、池泉の畔(ほとり)には芙蓉の花が仄(ほの)白く、多恨な夕風に揺れてゐた。

 諸侯はみな帰つたが、孫堅は二、三の従者をつれて、猶(なほ)去りがてに、逍遙(セウエウ)してゐた。

「噫(あゝ)……そこらの花陰や泉の汀(なぎさ)で、後宮の美人たちがすゝり泣きしてゐるやうだ。兵馬の使命は、新しい世紀を興すにあるが、創造のまへに破壊が伴ふ。……あゝいかん、多情多恨に囚(とら)はれては」

 ひとり建章殿の階(きざはし)に坐つて、星天を仰ぎ、じつと黙思してゐた。

 茫(ボウ)——と、白い一脈の白気が、星の光群をかすめてゐた。孫堅は、天文を占つて、

「帝星明(あきら)かならず、星座星環みな乱る。——あゝ乱世はつゞく。焦土はこゝのみには、止(とゞ)まるまい」

 と、思はず嘆声をあげた。

 すると、階下にゐた彼の郎党のひとりが、

「殿。……なんでせう?」

 怪しんで指さした。

「何が?」

 孫堅も、眸(ひとみ)をこらした。

「さつきから見てゐますと、この御殿の南の井戸から、時々、五色の光が映(さ)しては消え、映しては消え、暗闇で宝石でも見てゐるやうです。……どうも眼のせゐとも思はれませんが」

「ムム、成(なる)程(ほど)。……さう云はれてみれば、そんな気もする。炬火(たいまつ)をともして、井戸の中を調べてみろ」

「はつ」

 郎党たちは馳けて行つた。

 程なく、井戸のまはりで翳(かざ)し合ふ炬火が彼方にうごいてゐた。そのうちに、郎党たちが、何か、大声あげて騒ぎ出した様子に孫堅も近づいてそこを覗いてみると、水びたしになつた若い女官の死体が引揚げられてあつた。——すでに日も経てゐるらしいが、その装束も尋常(よのつね)の女性(ニヨシヤウ)とは思はれないし、猶(なほ)、生けるまゝな容貌(かんばせ)は白玕(ハクカン)のやうに美しかつた。

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