吉川英治『三国志(新聞連載版)』(104)蛍の彷徨(さまよ)ひ(一)

吉川英治『三国志』の新聞連載版を1日2回発信します。第104回。
三国志研究会(全国版) 2026.06.03
誰でも

 何進の幕将で中軍の校尉袁紹は、何進の首を抱いて、

「おのれ」

 と、青鎖門を睨んだ。

 同じ何進の部下、呉匡(ゴキヤウ)も、

「おぼえてゐろ」

 と、怒髪を逆だて、宮門に火を放つと五百の精兵を駆つて、雪崩(なだ)れこんだ。

「十常侍をみなごろしにしろ」

「宦官どもを焼(やき)つくせ」

 華麗な宮殿は、忽(たちま)ち土足の暴兵に占領された。炎と、黒煙と、悲鳴と矢うなりの旋風(つむじかぜ)であつた。

「汝(うぬ)もかつ」

「おのれもかつ」

 宦官と見た者は、見つかり次第に殺された。宮中深く棲んでゐた十常侍の輩なので、兵はどれが誰だかよく分らないが、髯(ひげ)の無い男だの、俳優のやうににやけて美装してゐる内官は、みんなそれと見なして首を刎ねたり突き殺したりした。

 十常侍趙忠や郭勝などゝいう連中も、西宮(セイキウ)翠花門(スイクワモン)まで逃げ転んで来たが、鉄弓に射止められて、虫の息で這つてゐるところを、ずたずたに斬り刻まれ、手足は翠花楼の大屋根にゐる鴉(からす)へ投げられ、首は西苑の湖中へ跳(はね)とばされた。

 天日も晦(くら)く、地は燃ゆる。

 女人たちの棲む後宮の悲鳴は、雲に谺(こだま)し地底まで届くやうだつた。

 その中を、十常侍一派の張譲、段珪(ダンケイ)のふたりは、新帝と、何太后と、新帝の弟にあたる協皇子——帝が即位してからは、陳留王(チンリウワウ)と称(い)はれてゐる——さう三人を黒煙のうちから救け出して、北宮翡翠門(ホクキウヒスイモン)から逸早(いちはや)く逃げ出す準備をしてゐた。

 ところへ。

 戈(ほこ)を引つ提(さ)げ、身を鎧ひ、悍馬に泡を嚙ませて来た一老将がある。宮門に変ありと、火の手を見ると共に馳せつけて来た中郎将盧植であつた。

「待てつ毒賊。帝を擁し、太后を獲(と)つて、何地(いづち)へ赴(ゆ)かんとするかつ」

 大喝して、馬上から降りるまに、張譲たちは、新帝と陳留王の車馬に鞭打つて逃げてしまつた。

 たゞ何太后だけは、盧植の手にひき留められた。

 折ふし、宮中各所の火災を、懸命に部下を指揮して消し止めてゐた校尉曹操に出会つたので、ふたりは、

「新帝の御帰還ある迄(まで)、しばし、大権をお執りくだされたい」

 と請ひ、一方諸方に兵を派して、新帝と陳留王の後を追はせた。

 洛陽の巷(ちまた)にも火が降つてゐた。兵乱は今にも全市に及ぶであらうと、家財商品を負つて避難する民衆で混乱は極まつてゐる。その中を——張譲等の馬と、新帝、皇弟を乗せた輦(くるま)は、逃げまどふ老父を轢(ひ)き、幼子を蹴とばして、躍るが如く、城門の郊外遠くまで逃げ落ちて来た。

 けれど、輦の車輪は壊れ、張譲等の馬も傷ついたり、泥濘(ぬかるみ)へ脚を入れたりして、みな徒歩にならなければならなかつた。

「——噫(あゝ)」

 帝は、時々、蹌(よろ)めいた。

 そして大きく嘆息された。

 顧みれば、洛陽の空は、夜になつてまだ赤かつた。

「もう少しの御辛抱です」

 張譲等は、帝を離すまいとした。帝を擁する事が自分等の強味だからである。

 草原の果てに、北邙山(ホクボウザン)が見えた。夜は暗い。もう三更(サンカウ)に近いであろう。すると一隊の人馬が趁(お)つて来た。張譲は観念した。追手と直感したからである。

「もうだめだつ」

 無念を叫びながら、張譲は、自ら河に飛込んで自殺してしまつた。帝と、帝の弟の陳留王とは、河原の草の裡(うち)へ抱き合つて、暫(しば)し近づく兵馬に耳をすまして居られた。

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