吉川英治『三国志(新聞連載版)』(244)巫女(みこ)(二)

吉川英治『三国志』の新聞連載版を1日2回発信します。第244回。
三国志研究会(全国版) 2026.08.12
誰でも

 李傕の陣中には、巫女がたくさんゐた。みな重く用ひられ、絶えず帷幕(ヰバク)に出入りして、何か事ある毎(ごと)に、祭壇に向つて、禱(いの)りをしたり、調伏(テウブク)の火を焚いたり、神(かみ)降(おろ)しなどして、

「神さまのお告(つげ)には」

 と、妖しげな御託宣を、李傕へ授けるのであつた。

 李傕は、おそろしく信用する。何をやるにもすぐ巫女を呼ぶ。そして神さまのお告を聴く。

 巫女の降す神は邪神とみえ、李傕は天道も人道も怖れない。いよいよ乱を好んで、郭汜と啀(いが)みあひ、兵を殺し、民衆を苦しめて顧みなかつた。

 彼と同郷の産、皇甫酈(クワウホレイ)は、或(ある)時(とき)、彼を陣中に訪れて、

「無用な乱は、よい加減に熄(や)めてはどうです。君も国家の上将として、爵禄を極め、何不足もないはずなのに」

 と、云つた。

 李傕は、嘲笑つて、

「君は、何しに来たか」

 と、反問した。

 皇甫酈もニやリとして、

「どうも、将軍はすこし神(かみ)懸(がか)りにかゝつてゐるやうだから、将軍に憑(つ)いてゐる邪神を掃ひ落して上げようと思つて来た」

 と、答へた。

 彼は、弁舌家なので、滔々と舌をふるひ、私闘のために人民を苦しめたり、天子を監禁したりしてゐる彼の罪を鳴らし、今にして悔い改めなければ、遂に、天罰があらうと云つた。

 李傕は、いきなり剣を抜いて、彼の顔に突きつけ、

「帰れつ。——まだ口を開いてゐると、これを呑ませるぞ」

 と、どなりつけた。そして、

「——さては、天子の密旨をうけて、おれに和睦をすゝめに来たな。天子の御都合はよいか知らぬが、おれには都合が悪い。誰か、この諜者(まはしもの)をくれてやるから、試し斬(ぎり)に用ひたい者はゐないか」

 すると、騎都尉の楊奉(ヤウホウ)が、

「それがしにお下げください。内密のお差(さし)向(むけ)とは申せ、将軍が勅使を虐殺したと聞えたら、天下の諸侯は、敵方の郭汜へみな味方しませう。将軍は世の同情を失ひます」

「勝手にしろ」

「では」

 と、楊奉は、皇甫酈を、外へ連れ出して放してやつた。

 皇甫酈は、まつたく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来たのだつたが、失敗に終つたのでそこから西涼へ落ちてしまつた。

 だが、途々(みち/\)、

「大逆無道の李傕は、今に天子をも殺しかねない人非人だ。あんな天理に反(そむ)いた畜生は、必ずよい死に方はしないだらう」

 と、云い触(ふ)らした。

 ひそかに、帝に近づいてゐた賈詡も、暗に、世間の悪評を裏書するやうな事を、兵の間にさゝやいて、李傕の兵力を、内部から切り崩してゐた。

「謀士賈詡さへ、あゝ云ふ位(くらゐ)だから、見込はない」

 脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がぼつ/\殖(ふ)え出した。

 さういふ兵には、

「おまへたちの忠節は、天子もお知りになつてをる。時節を待て。そのうちに、触(ふれ)が廻るであらうから」

 と、云ひふくめた。

 一隊、一隊と、目に見えて、李傕の兵は、夜の明けるたび減つて行つた。

 賈詡は、ほくそ笑んだ。そして又、或(ある)時(とき)、帝に近づいて献策した。

「この際、李傕の官職を大司馬に昇せ、恩賞の沙汰をお降し下さい——目をおつぶり遊ばして」

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[補註]新聞連載版では李傕を李確、郭汜を郭氾に作っています。この配信では誤字と思われるものも、そのまま記載することを基本方針としていますが、この誤記については数が多すぎるため、李確を李傕、郭氾を郭汜に修正しています。

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